流れる雲を眺めてました

何処かの学生が綴る黒歴史

代わりの連鎖

 

 

人間というものは確かにonly oneだ。

ヒトという生物が生命を繋げてきて、その樹の枝の先に位置している「自分」は一人だけだ。

 

だがそれは社会では通用しないのは分かりきったこと。学校でも会社でも穴が空けば埋まる。言葉が一つ消えれば新しい言葉が生まれる。人が一人死んでその人が担っていた役割を担う人が一瞬いなくなったとしても、その刹那に誰かが入りこむのだ。

そうやって世の中は回っていく。否、回っていかなければならないのだと思う。

 

だから、壮大な社会を凝縮したような人間関係でも同じことは言えるわけだ。常に誰かは誰かの代わりであって、代わりと代わりがお互いに代わりであることを慰め、励まし、穴にならないように必死に噛り付いて行く。

 

だとすれば孤独というものは一番落ち着ける空間なのではないか。自分が自分であること、世界が自分のためにあるような誰にも邪魔されない空間。世の中の喧騒も少しだけ有名な人が起こしたスキャンダルも、この中だけはどうでもよくなる。

それはとてつもない至福であり、愉悦に浸れる場所じゃないのか。

 

それなのに人間というものは、孤独を怖がる個体が多い。こうして恰も人間でないかのように俯瞰で見ている僕でさえ、誰かに看取られたいという願望はある。

ただ一人の自分というものを有意義に過ごしたいという思いと、他人に嫌われたくない、独りにされたくないという恐怖という矛盾の交点を探して、今日も街を練り歩くのだろう。

 

みんながみんな、代わりのいないただ一つの「代わり」であり、代わり番こで代わりをする。

こんなにも同じ漢字を並べるとまるで図形のように見えてきたので、これくらいにしよう。