流れる雲を眺めてました

何処かの学生が綴る黒歴史

ヂブンラシサ

 

 

此間の続きのようになってしまうが、「別に自分じゃなくたっていいだろう」という心がありながら生き延びている人が多いと思う。僕もそうだ。

矢面に立つのは自分じゃない方がいいし、たまたま自分が近くにいたから自分に頼まれただけの、ぶっちゃけ誰にでもできる仕事を毎日こなすような感じなのだ。

そんな中で「自分らしく」とか言われたって、の話である。じゃあ「〜らしい」ってなんなんだ?そう考えたことがない人って少ないんじゃないか?

 

まずもって、自分のこの悲観的に客観視する考え方はどこから生まれてきたのだろうか。

生きているこの環境はもちろん、親、きょうだい、親族、友人、それから自分が崇める偶像。プラス世界に溢れているtoo muchな情報。それらの考え方が良くも悪くも引き継がれて僕の脳内があるわけであって、決してなにもかもから独立したものではない。

じゃあ僕に影響を与えている人やモノはどこから影響を受けているのだろう?そうやって考えていくと、結局は人類の歴史を辿ったその先端にたどり着くのではないか。

そうしたら余計に「らしさ」は遠いものだと考えてしまう。少し話が横道に逸れたか。

 

「〜らしい」ってなんなんだ?そう考える人の「らしさ」というのは、自分じゃなきゃいけない場所、それを探して生きていること自体じゃないか?最近はそう思う。

だから逆に、自分らしさを独自で確立している人の「らしさ」は薄っぺらいものだと思えてきてしまう。自分で思う自分らしさは、その人の芯であり、時にその人を鼓舞したり安心させたりするものだから、悪い事でもないはずなんだけどさ。

他人からの「らしさ」に耳を傾け、自分の思うものと聞き比べ、ミックスして確立させよう。

実際問題、僕が昔思っていた僕らしさと、周りからの目は真逆であったのだから。